大坂なおみが日本登録をするのは?・・(^-^)
こんにちは・・(^-^)
昨晩から、4大大会連覇、世界第一位になった大坂なおみさんがマスコミを賑わせていますね?
大坂なおみは北海道出身の母・環さんとハイチ出身の父フランソワさんとの間に大阪で生まれ、3歳で米国に移住した。
二重国籍で、日本語は話すのが苦手なのに、日本登録で出場し、「日本人」として初の快挙を成し遂げた。
大坂がなぜ日本登録で出場するかが不思議でした?
大坂が準決勝を戦う前、1人の米国女性記者が「彼女は本当は米国人よ」と言ってきた。
その記者は、昨年10月のツアー最終戦WTAファイナルの時にも、米国の元世界女王キング夫人に「なぜ大坂を日本に持って行かれたのか」とかみついていた。
3~4歳時、生まれた大阪から米国に移住した大坂は、日本の記憶はおぼろげで米フロリダ在住で言葉も英語の方が流ちょうですね。
日米の二重国籍なため、米国記者が、米国を選んだ方がいいと思うのも当然かもしれない。
13年9月の東レ・パンパシフィック大会の時に日本テニス協会の女子代表コーチだった吉川真司氏は、日本登録で出場していた選手をくまなくチェックしていて予選1回戦で敗れたが、目がくぎ付けになったのが15歳の大坂だった。
「すごい才能だと思った」のですぐに当時の女子代表監督だった村上武資氏、植田実強化本部長に大坂の存在を報告し、それ以来、日本に来たときは、味の素NTCで練習できるように取りはからうなど、地道な支援を続けてきた。
吉川氏も代表コーチとして大会に派遣され、大坂が出場していれば必ずコンタクトを取り続けた。
大坂は米国テニス協会のジュニア大会に多く出場しているが、目立った成績は残していないし米国では完全に埋もれた存在だった。
大坂一家は米国協会に支援を申し込んだが、大して取り合ってもらえなかったが大坂が16年全豪で予選を勝ち上がり本戦で3回戦に進むと、米国協会は強烈なアプローチを仕掛けてきた。
日米争奪戦の勃発だった。
米国は女子代表監督が自ら乗り出し、多額の支援を約束したと伝えられるが大坂の父フランソワさんは、無名の時から娘を支援し続けた日本の恩義を尊重したという。
だからこそ、いまでも大坂は日本で登録し続けるのだ。
吉川氏は「僕は代表コーチとして手助けしただけ。コーチはバイン氏」と遠慮する。
確かに、あくまで大坂の専属コーチはバイン氏だ。
彼の手腕が卓越した大坂の才能を開花させたことは間違いない。
母環(たまき)さんが、日本の文化や料理を娘に伝え続けなければ、大坂自身が「私のメンタリティーは日本人に近い」と認識することもなかっただろう。
ただ、吉川氏がいなければ、大坂が「日本人」として4大大会の優勝杯を掲げることがなかったのも事実だろう。
そんな裏の歴史を知りながら、今後も応援しようと思いました・・(^-^)
今日も良い日でありますように・・(^-^)
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