法隆寺・綱封蔵って、どんなもの?・・(^-^)
こんにちは・・(^-^)
今日は、聖霊院の東横にある建物を説明しますね。
法隆寺地域の仏教建造物の一つである綱封蔵は、聖霊院の東、大宝蔵院に向かう順路の右に建つ高床式の建物です。
この建物はこうなんですが・・(^-^)
だけど、近くで写すと写真機には入らずこんな感じですね・・(^-^)
二つの倉が一つの屋根で覆われ、中央部が吹き放しになった「双倉」という様式です。
外回りには窓はなく、白壁で包まれ、出入口は吹き放しの部分に面して向かいあって設けられています。
奈良時代の財産目録には、双倉が二棟あったことが記されていますが、現在の綱封蔵はそれには該当しないようである。
しかし、双倉の基本形式を伝える貴重な遺構と言えます。
この名前の由来は、倉の開閉は厳重な管理下で行われ、封印を解くには、諸寺を管理するため朝廷より任命された僧官が置かれた「僧綱所」の立ち合いが必要であったことから綱封蔵と呼ばれたんですね・・(^-^)
その北側に東西に細長い二棟の建物が軒を接するように建っています。
ただ、中宮寺にある「天寿国繍帳」は、1274年に、この蔵から発見されて戻されたようですね。
本による写真ではこうです・・(^-^)
だけど、実際は写真が写せませんでした⁉
北が食堂、南が細殿です。
これも奈良時代の双堂の形式と伝える貴重な建物です。
食堂は、衆僧が食事するする施設で、その大きさは、西院伽藍の大講堂に匹敵しました。
今食堂と呼んでいる建物は、寺務を行う政屋でもありました。
堂内中央には、須弥壇があり、その上の厨子内には、奈良時代の塑像、薬師如来坐像が本尊として安置されています。
南側に軒を接する細殿は、二口政屋の片方に当たります。
現在の建物は、創建時の建物を踏襲した鎌倉時代の再建であり、創建時には、二棟の屋根で繋がって使用されていたんですね。
マリア猫を擦ると怒って外に出て行ってしまいました?・・(^-^)
独りでゆっくりしますね・・(^-^)
10日に開かれる写真講座の写真を整理しますね・・(^-^)
今日も良い日でありますように・・(^-^)
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