老いを解決できるのか?・・(^-^)


こんにちは・・(^-^)

散歩道で出会った花です・・(^-^)

二階でいるマリア猫を迎えに行くと降りてきてすぐに外に出ていっちゃいましたね?

昨日の法話を聞きながら・・

私も70歳を越えました。

だから、上り坂はしんどいし、階段を降りるのも嫌で、60歳代からエスカレーターやエレベーターのお世話になっています。

老いなんてものは、苦でもなんでもないんだと考えればいいんでしょうが。

そもそも仏教では、苦も楽も一つのものと見るのに何でそれを分別して分けちゃうということなんですね。

生も死も、「生死一如」で分けないんですから、苦楽も一つで良いんですね。

分けるからおかしくなるんですね。

人間は子供のころから浮世の物差しを身につけて分別することを仕組まれてきたんですね。

だから、浮世の判断基準ばかりで生きているんですね。

弱った行動を老化現象とか精神的衰えとか言っちゃうからダメなんですね。

仏教の勉強が実ってきたんだと喜べばいいんですね。

ちょっと難しいですが?

お浄土は、光の世界ですから影がないんですね。

影とは、この娑婆の苦しみや悲しみ、悩みなんだから向かう浄土には、無いんですね。

老いの問題は、解決できないんですね。

人の手で解決できるものなら苦悩じゃないんですね。

解決できないものなら解決しようとしないほうが良いんですね。

なぜ、お釈迦さんが、「一切皆苦.」とおっしゃたかというと無くなりっこないんですね。

もう苦しみ時間も後わずかで、お浄土までの時間がないんですから苦しむだけ苦しんでお浄土にお土産を用意すればいいんですね・・(^-^)

そんな法話を聞いていると、苦悩はすべてお浄土へのお土産話で、ありのまま苦しめばいいんだなあと思わされましたね・・(^-^)

そう思うと痛い脚の事も忘れて今日一日を頑張ろうと思いました・・(^-^)

今日から始まる御創建1250年奉祝の行事を春日大社に見に行こうかなあ・・(^-^)

今日も良い日でありますように・・(^-^)

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